関東甲信越・花と風景写真Ⅱ

八幡平・田沢湖の旅Ⅴ

 八幡平・田沢湖の旅、最終回です。
黄緑色の水田と翡翠色の湖面、田沢湖の美しさに見とれました。
0807田沢湖と水田
 田 沢 湖
 最大深度は423.4mで日本第一位。(湖面標高は249m)真冬でも湖面が凍り付くことはなく、湖水に差す太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩る。
 かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、摩周湖に迫る331mの透明度を誇っていた。1940年に発電所の建設と玉川河水統制計画のために、別の水系である玉川温泉から強酸性の水(玉川毒水・玉川悪水と呼ばれる)を導入した結果、田沢湖は急速に酸性化し、固有種であったクニマスは絶滅。水質も悪化し、魚類はほぼ死滅してしまった。
 その後、石灰石を使った酸性水の中和対策を始め、玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。湖水表層部は徐々に中性に近づいてきており、放流されたウグイが見られるまでになった。しかし、2000年の調査では深度200メートルでpH5.14〜5.58でpH4.91と未だ湖全体の回復には至っていない。(ウィキペディアより抜粋)


 辰 子 伝 説
 田沢湖のほとり神成村に「辰子」という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。
 辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り、泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。
 狂奔する辰子の姿は、いつの間にか「龍」へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。
 辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖の「クニマス」の始まりという。(ウィキペディアより抜粋)
0807たつこ像
辰子像のまわりには、群れをなすウグイがいました。
0807うぐい

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