関東甲信越・花と風景写真Ⅱ

ひめゆりの塔と平和祈念公園

 3月2日、朝9時、羽田空港は青空で、富士山が見えています。
0903羽田
 離陸後しばらくすると、機内からも、富士山とアルプスが見えました。3枚のスライドショーです。

0903羽田2

 沖縄で最初に訪れたところは、ひめゆりの塔と平和祈念公園です。この海が綺麗で静かな島で、壮絶な戦闘がくりごろげられ、20万人以上の尊い命が失われました。この悲惨な戦争を決して忘れてはいけないし、二度と戦争を起こしてはいけないとあらためて強く思いました。

ひめゆりの塔
 太平洋戦争で住民を巻き込む唯一の地上戦があった沖縄で、看護婦として従軍した「ひめゆり学徒隊」(沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成されていた)。
 1945年5月25日に撤退命令が出た南風原陸軍病院から南下してきた「ひめゆり学徒」は本部、太田、第一、第二、第三の各外科壕に配属された。6月18日ひめゆり学徒の解散命令がでた翌19日、脱出のため、現在ひめゆりの塔がある第三外科壕に集合したが、ガス弾をうちこまれ多数の死者を出した。
 解散以前は軍とともに行動していたが、解散後は避難民の同じように砲撃の中を逃げ回ることになった。ひめゆり学徒の死者は解散後に多く出ている。
 防空壕で米軍に包囲され、降伏することなく最期を迎えた生徒と先生の名前が刻まれています。
 マウスオンしてから、ワンクリックです。
 
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平和祈念公園
 この国内唯一の地上戦で,沖縄の人々は米軍の攻撃に苦しんだだけでなく日本軍にもひどい目に遭わされる沖縄戦は、1945年3月26日、慶良間諸島で始まった日米両軍の戦闘から、同年6月23日、糸満市摩文仁の丘で、沖縄防衛32軍の牛島満司令官、長勇参謀長らが自決して日本軍の組織的抵抗が終結するまでの戦闘をさす。
 「鉄の暴風」と言われたほどの激しい艦砲射撃と空襲で、約20万人の犠牲者のうち、10数万人は一般住民でした。


 摩文仁の丘陵地を南に望み、南東側に美しい海岸線を眺めることのできる平和祈念公園。“沖縄戦終焉の地”糸満に整備された広い敷地には、沖縄戦の記録写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、国立沖縄戦没者墓苑をはじめ各県の慰霊塔などがあり、人類の恒久平和をアピールしています。
 1995年に除幕した「平和の礎」には、国籍や軍人、非軍人を問わず、沖縄戦で戦死した全犠牲者23万8千人余の氏名が刻まれています。
0903平和祈念公園
 今は美しく静かな海、ここで悲惨な戦いがあったとは想像もつきません。複雑な思いで海を眺めました。

0903平和祈念公園2



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